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2007.09.23 (Sun)

歴史的な25年前の新人営業マン誕生から...

25年前の新人営業マンは衝撃的にデビュー


私は業務で岡島ハウス産業の関ヶ原本社に入社して1年程が過ぎていた頃、大津店(近江東洋)は出店したばかりで当時店長と事務しかいなくて業務がいませんでした。
当時の社長(現岡島ハウス産業の岡島会長)から業務の手伝いで、1年間近江東洋へ転勤を命じられ赴任しました。


近江東洋に転勤に成り住んでいた場所は大家さんの親戚の離れの6畳一間を借りて、風呂は銭湯でトイレ(和式)は母屋の外トイレを借り、TV・洗濯機・冷蔵庫・ガス・
電話なしのラジオだけで1年間を過ごしました。
ポケットベルは何時から出来たか記憶が


洗濯とY社の商品を本社に持ち帰る為、毎週末は軽トラで関ヶ原の自宅に帰っていましたが、家賃1万5千円(会社負担)の今から思えばすごい生活でした。


転勤に成りすぐに店長の受注が無くなり、サッシの組立が1本も無く業務失業状態になりました。


社長に『仕事ないから本社に帰ります』と電話を入れたら『仕事がないなら取らんとアカンだろ...』と言われ翌日から営業マンの杉山光秀の誕生です。
営業マン



【More・・・】

当時私は名刺が無く急な事なので、名刺の出来るまでは店長の名刺の名前をボールペンで消して私の名前を書き込みスタートです。(修正ペンなど無かった)

今の営業マンのように営業研修を受けているわけでもなく全てがぶっつけ本番の衝撃的なデビューです。


営業初日の思いでは、当時まだお風呂はユニットバスなど使われず在来工法でしたので、浴室の框ドアを販売することにしました。


店長に原価だけ教えてもらいナンボでも良いからと営業スタート。
営業車は配達の馬付ボンゴトラックです。


行く先は新規先の工務店ばかりでしたが初日の成果は浴室の框ドア受注でした。


良いか悪いか分かりませんでしたが、こうしてドラマでもないような衝撃的な営業マンが誕生したのです。


それから新規営業は永遠に続くのですが、工務店さんからは『二度と来るな』なんて言葉は何度聞いた事か、そんな工務店さん程血が騒ぎことごとく取引開設して行ったような思い出が・・・


一番辛い思いでは、今年の夏も全国的に非常に熱かったのですが、当時の近江東洋の倉庫と事務所は半端では無く、事務所内は扇風機しかない時があり室内温度は を越えていて汗だくでした。


仕事が終わり風呂に入りたいのですが、毎日遅くなり当時の銭湯は夜10時までなのでタイムオーバーで、瀬田ビワコサウナにショート(1時間)900円で風呂に入りに行きました。


セールの時などは『夜時まで事務所に戻るななんて指示が当時のモモタロス鬼専務(現岡島ハウス産業 岡島社長)から出ていてそれが当たり前と思っていましたので、御前様なんて事は良く有りました。


食事は夜遅くしか食べれず2日1回は王将でポパイ定食と餃子1人前で体重も一時は 近くまで行ってしまい大変でした。


そんな時代で私がすごかったのか良い時代だったのか分かりませんが、私が営業スタートした栗東支店の元祖の社名は近江東洋で岡島ハウス産業の大津店でした。その後現彦根本店の冨田部長が入社してきて、25歳で人材不足で私が店長と成り近江東洋黄金時代はスタートして行きました。
今でも岡島トーヨー住器は知らないが、近江東洋(近江トーヨー)は知っている工務店さんが多いと思います。



近江東洋の名前の沿革は思い出がいっぱいで
近江東洋(滋賀県大津市一里山)⇒近江住器(TFC準会員)⇒近江トーヨー住器(TFC正会員)⇒近江トーヨー住器(栗東市に移転)⇒岡島トーヨー住器 栗東支店


TFCの準会員に加盟して来年で20年と成るのですが、近江東洋は滋賀県大津市・草津市・守山市・栗東町などで当時は同業者や工務店で近江東洋の杉山を知らない人はもぐりと思われるほど、無茶苦茶営業をしていました


同業者で事務所に『無茶苦茶するな』と怒って来る人もいましたし、山亀工務店の社長さんからは『杉山は夜1人で街を歩くなよ、同業者にさされるぞ』なんて良く言われていました。(笑)


新人が増えてアパートを変えて2DKに5名が寝泊りしていた時代も有りましたが、ここでもシャワーが無く真夏に昼間は営業・業務で必死にやり汗だくで、夜はアパートで水を洗面器でかぶり毎日会でスナックへ直行なんて事が続き無茶苦茶なONとOFFのはっきりした生活をしていました。


私は当時トステムのショールームが新大阪ビルに出来て、日曜日はお客様をお連れ出して総合化の走りもやりまし、土下座して涙ぼろぼろで謝った事も数回有りましたが、営業は辛いが面白かった思いでがいっぱいで、営業は3日やれば止められないと昔のどこかのCMのように、朝訪問・夜訪問も当たり前で取れない新規は無いと思っていました。


そんな事で仕事も近江東洋黄金時代始まったのでした。


その後の続編は1年の手伝いが7(ひち)年の聞き間違いから忘れた頃の11年後に、今度は『本社に来週帰って来てビル建材をやれ』と言う電撃的な異動等はリクエスト等あった機会にでも...



今は、無茶苦茶できる若い営業マンを熱望している今日です。




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テーマ : 社長ブログ - ジャンル : ビジネス

07:00  |  PRESIDENT  |  コメント(6)

Comment

宮下さんへ
ちょっと大げさだったかも知れませんが...サラリーマン的に成ったという事でしょう。
M.SUGIYAMA |  2007.09.25(火) 18:41 | URL |  【編集】

スポーツでも、政治でも、無茶苦茶をやる人が少なくなりました。無茶苦茶と言っても他人に迷惑をかける訳ではなく、むしろ「そこまでやるか!」というレベルです。
とことんやってやるゼv-217・・・って、減っていると同時に、期待v-42されていると思います。
杉山社長、昔を思い出しました。20年超の営業はあきれる内容ですが、楽しかったですね。確かに。
TFC部+宮下です |  2007.09.25(火) 12:07 | URL |  【編集】

v-425先輩方の武勇伝には感動の一言です。
ぐるめファン |  2007.09.23(日) 22:14 | URL |  【編集】

第二の黄金時代を築き上げるのが僕たちの任務だと思っております。
いつの日か自分もこういう話が出来るよう無茶苦茶v-236
してみようかなと思いますv-30
Fです。 |  2007.09.23(日) 17:24 | URL |  【編集】

栗東支店で、第二の黄金時代が始まる予感がしてます。
TFC課 笠井 |  2007.09.23(日) 14:38 | URL |  【編集】

朝からいいもの読ませてもらいました。
ファン |  2007.09.23(日) 08:33 | URL |  【編集】

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